2月末、快い春の日差しに包まれた、達原大平地区でのインタビュー。
ぽかぽか日よりで、福寿草が咲き始めました。
「福寿草を守る会」に携わるきっかけを教えてください。
昭和63年くらいの竹下総理の1億円(ふるさと創生事業)で、上矢作のまちおこしで福寿草を広めようということで、いろいろ施設を作っていただきました。その頃(当時)の上矢作の役場の職員達にも協力していただいて、みなさんに(福寿草を)見てもらおうとして始めたものです。
地元の特にこの3軒が福寿草を大切にしてきていて、親の代からの流れで今現在まで引き継いでやっています。
どうして。「福寿草を守る会」を立ち上げたのでしょうか?
堀勝さん:
福寿草は意外にデリケートな植物なので、その当時からすくなくなってくる(と予想された)ので、それを何とか絶やさないようにしようという想いからです。
堀啓二さん:
見ての通り少なくなってきていて、最盛期に比べると何分の一になってしまって。やっぱり守らないと絶えてしまうということで立ち上げました。
活動は何をされてますか?
堀勝さん:
まずは、環境整備。(福寿草が咲いているエリアを中心に)また開花のタイミングに合わせて、イベントを開催しています。珍しい棚田もありますので、棚田や福寿草を守りながら3軒でやってます。
これまで良かったこと、大変だったことはありますでしょうか?
堀勝さん:
最初のころは、イベントでたくさんの方に来ていただいたので、町の職員達にも手伝っていただいて、大変だったです。今でこそ(来場者が)少なくなってしまいましたが。福寿草が減ってしまってさみしいですね。私がうまれたころは、(このあたりは)福寿草で一面がまっ黄、黄で。(その当時を)見せてあげたいくらいです。さみしいもんです。
堀啓二さん:
苦労は手入れです。 棚田とか草刈りなどの整備をして福寿草が育つ環境にしてあげないといけないので。ここに(獣害対策の)柵がありますけど、イノシシが掘ってしまうと福寿草が絶えてしまうので対策をしないといけない。
大変ながらも活動を続けている、思いは?
堀勝さん:
先祖様が大変な思いをして、石かけを積んで棚田を作って、田んぼを作ったところの「ぼた」に福寿草が生えたと思うんだよね。
後世に少しでもの残せるように、頑張ってます。この掘家の3軒で(昔でいう「結い」)田植え稲刈りなどの作業をやっていました。
(これからは)家族やボランティアを含めて一緒に活動をして、何とか残していきたいな。と堀啓二さん:
花を見に来ていただいた方々に楽しんでいただけるように。絶えないように。守っていきたい。
福寿草の見ごろはいつ頃でしょうか?
堀勝さん:
3月の頭から4月の頭くらい。人によってはポツンと咲くのがいいという方や、ぱっと一面に咲くのがいいという方もいるのですが・・・。一番の見ごろは、3月20日のお彼岸くらい。
上矢作の魅力はなんでしょう?
堀勝さん:
上矢作は山の中で、山と川に囲まれて、辺境の地で過疎なんですが。みんなで助け合って、なんとか守っていきたい。過疎の地だからこそのいい点だと思います。それが上矢作の魅力だと思います。
堀啓二さん:
自然ですよね。自然。空気もおいしいし。ぜひ町のほうからも足を運んでいただきたいです。
ありがとうございました。